ハウスクリーニングで皆様のお宅へ伺うと、一緒にお掃除を始める方が非常に多いです。
エアコンの下の家具を移動しておくようにお願いしてますが、本棚などを移動すると角の隙間から、大量の綿埃が出てきたりすると、慌てて掃除機をかけようとしたり、汚れていて恥ずかしいと感じる方が日本人の感性なのでしょう。お気持ちが分かるので親近感が沸きます。
よく考えれば何年も移動しない箇所をどかせば、汚れていて当たり前なのだから恥ずかしがる必要はありませんが、いつかやらなくてはとサボっている自分を証明する証に見えてくるのでしょうか。
届かない換気扇
先日も浴室クリーニングした時に、換気扇の蓋とファン回りの清掃前後の写真をお客様にお見せすると「うわ〜恥ずかしいですね」とおっしゃっていました。築10年ほどで一度も開けたことがなかったようです。
換気扇の位置が脚立で作業しないと手の届かない場所に設置されてますし、我々ハウスクリーニング業者の仕事だなと感じます。
身だしなみの心
いつも接するこの感性は、日本人の身だしなみの心から来ているのでないかと思うのです。
日本のお掃除教育については以前にも書きました↓
他国の影響を受けずに独特の文化が構築された江戸時代は、今盛んにいわれている究極のSDGsだったと言われています。
着物もツギハギして使えなくなるまで使う。糞尿まで肥料として使っていたといいます。畳の表替えなんて「もったいない」を体現する日本を象徴する技術でしょう。
ここまでする国の文化にハウスクリーニングが必要なのか疑問すら沸いてきます(現代においては不可欠ですが)。
つまり、身だしなみが日常の作法に組み込まれていて、心を整えるための作法として、身辺の掃除をすることも当然の道徳感を持っているのでしょう。
こうして心を育んできたかと思うと、このルーツを年々愛おしく思えるようになってきました。
また、この文化の人にハウスクリーニングを浸透させるには工夫が必要だったんだろうと想像させます。
今度、ハウスクリーニングの日本化について書きます。
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